空蝉の如く我もここにありきと・・・
あまりに個人的な生活の足跡です。
可愛い2人の息子娘虎の子ちゃんとだるまちゃん、
そして凛として何でもこなす妻。
齢を重ねても精神的にパンクでソウルフルでいられるのは
この人たちのおかげなのです。
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Land of Milk and Honey
Land of Milk and Honey (JUGEMレビュー »)
Eliza Gilkyson
ジャケットからくるイメージ、王道のカントリー声で歌われる曲の良さ。他のアルバムもいいですが私にはこれが最初に出会ったアルバムなのでお気に入りです。
3発目の原爆
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

マンハッタン計画の最高責任者であるグローブスが
トルーマン大統領のもとを訪れた2日後の
1945年4月27日にグローブスは、
原爆を日本のどこに投下するか話し合う、『目標検討委員会』に出席した。

ここに大統領だったトルーマンやその側近は出席していない。
話し合いの結果以下の17か所が選ばれた。

(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。

その中で、京都と広島が有力候補に上がり、
グローブスは京都を上げた。その理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。

最初の原爆は破壊効果が隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語っている。

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8時15分
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

日陰にいたし、たまに涼しい風。

 

だけど、如何せん人が多くて人の汗のすえた臭いが漂ってる。

 

青空。

 

73年前の今日、青が一瞬にして赤と黒の世界に変わったんだな。

 

安倍さんの話は嘘くさくてこっちが恥ずかしい。

それにしても話が終わるとそそくさと帰る人たちいる。

隣の婆さん2人は写真を撮るのに必死。

私の立ってる縁石の上を譲ってあげた。

どうぞ、私はあんなの見たくもないので。

 

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旧日本銀行内、地下の展示室
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

爆心地からわずか380mでも原型をとどめている旧日本銀行内。
一時的に救護施設となった。
3日目には金融を再開。因みにNHK広島は25日後に放送再開。

 

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許せまじ原爆
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

爆心地1、6キロの自宅で被爆し、奇跡的に家族4人とも生き残った
早志百合子さんは昭和30年に高校を卒業して地元バス会社に
就職した。バスガイドになった彼女。毎度、橋にさしかかる時に
この「許すまじ原発」歌うというマニュアルがあったそうだ。
スマセン、「許せまじ原爆」でした。
それで、その後に被爆体験を話さなければなり、

それが嫌でしょうがなく
向いていたけど辞めてしまったんだよ。

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原爆と戦争展
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

原爆と戦争展、アメリカの国に対してより

科学と経済とそれを統治する政治に抑えきれない怒りをかんじました。

 

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明治以来の2大国策 富国強兵と殖産興業
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

日本の2大国策は、第一次産業の農業を軽視、差別し、

そこに現れた公害の犠牲を無視する事ではじめて成立しえた。

これは戦後に日本にも脈々と受け継がれている。

 

当時は日露戦争勝利に福沢諭吉をはじめとする多くの思想家達が

熱狂し、軍備拡張政策の強力な後押しとなった。

「日清の戦争は文野の戦争なり」

「大に軍費を拠出せん!!」

「満清政府の滅亡遠きに非ず」

「直に北京に衝く可し」

これが有名な格言「人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を

作った人の言葉ですよ。

 

補足
これは明治15年に福沢諭吉が創刊した日刊紙「時事新報」での、自身の寄稿のタイトルです。
実は今の産經新聞のルーツです。

 

 

 

 

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沖縄の心
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

天気がいいね。空が青いこと・・
この言葉が閉ざした心の扉を開けてくれますように。

 

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ここからどんどん忘れ去られてきた
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

1945年8月15日の正午・・・

戦後まもなく総理大臣となり戦争調査会を立ち上げた

幣原喜重郎は、外出先で玉音放送を聞いて、電車で帰路につく。

 

車内で30代の男が叫んだ。

「いったい君は、こうまで日本が追いつめられたのを

知っていたのか?なぜ、戦争をしなければならなかったのか?

おれたちは知らん間に戦争を引き入れられて、知らん間に

降参する。けしからんのは我々をだまし討ちした当局の

連中だ!!」男は泣き出す。

他の乗客もこれに同調して騒ぎ出す。

幣原喜重郎自身も「至極、最もだ」と心に刻んだとしてる。

 

主だとされる戦犯者は巣鴨プリズンに投獄され、

各省庁官舎からは書類を燃やす煙が立ち上っていた。

 

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普通海員養成所
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

国民学校高等科を卒業したての14、15歳の男子が

普通海員養成所でたった三ヶ月の教育課程を経て

約4万人の少年船員が養成され戦争に駆り出された。

 

十人の少年海員はみなあまりにも頼りなかった。

厳寒、吹きっさらしの甲板作業に、一時間ほどでばてて

涙をこぼし、強気な甲板員が怒鳴りつける泣き出す始末。

それに船酔いは一向に治らず、青い顔でフラフラしていた。

同乗の船舶兵によくなぶられたり、

気合いを入れられて震えていた。

夜ごとの夢は郷里の父母だったろう。

 

1944年千島列島に向かう「まどらす丸」に乗船した

沖之悠氏は、そこで会った声変わりもしていない少年海員の

ことをこのように回想している。

「海なお深く」より

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男の戦争
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今朝は、窓に叩き付ける雨音で目が覚める。

 

この星の至る所で、再び人々が逃げ惑う

誰がどこへ逃げていいのか、誰を信じればいいのか

誰もそのことを知らない

勝者はいない 愚かな男の戦争

 

https://www.youtube.com/watch?v=ugwOSB77Xgo

 

 

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