空蝉の如く我もここにありきと・・・
あまりに個人的な生活の足跡です。
可愛い2人の息子娘虎の子ちゃんとだるまちゃん、
そして凛として何でもこなす妻。
齢を重ねても精神的にパンクでソウルフルでいられるのは
この人たちのおかげなのです。
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Land of Milk and Honey
Land of Milk and Honey (JUGEMレビュー »)
Eliza Gilkyson
ジャケットからくるイメージ、王道のカントリー声で歌われる曲の良さ。他のアルバムもいいですが私にはこれが最初に出会ったアルバムなのでお気に入りです。
普通海員養成所
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

国民学校高等科を卒業したての14、15歳の男子が

普通海員養成所でたった三ヶ月の教育課程を経て

約4万人の少年船員が養成され戦争に駆り出された。

 

十人の少年海員はみなあまりにも頼りなかった。

厳寒、吹きっさらしの甲板作業に、一時間ほどでばてて

涙をこぼし、強気な甲板員が怒鳴りつける泣き出す始末。

それに船酔いは一向に治らず、青い顔でフラフラしていた。

同乗の船舶兵によくなぶられたり、

気合いを入れられて震えていた。

夜ごとの夢は郷里の父母だったろう。

 

1944年千島列島に向かう「まどらす丸」に乗船した

沖之悠氏は、そこで会った声変わりもしていない少年海員の

ことをこのように回想している。

「海なお深く」より

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男の戦争
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

今朝は、窓に叩き付ける雨音で目が覚める。

 

この星の至る所で、再び人々が逃げ惑う

誰がどこへ逃げていいのか、誰を信じればいいのか

誰もそのことを知らない

勝者はいない 愚かな男の戦争

 

https://www.youtube.com/watch?v=ugwOSB77Xgo

 

 

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知的障害があった兵士
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

戦争の本は何冊も読んでいるけど、未だに知らなかった事実が

いっぱいある。

いくら読んでも戦争に対する恐怖は克服などできるはずもない。
ナチスは障害者の虐殺を行ったけど、日本では太平洋戦争末期に
なると知的障害者であろうが、徴兵していたというを事実をはじめて知った。
何にもわけわからず話す相手もいないまま、ただ恐怖に駆られていただけ。
あまりに悲し過ぎる・・親はどんな気持ちで彼らを送り出したのか?
 
国府台陸軍病院の軍医として、各部隊で智能検査を実施した浅井利勇によれば
部隊によって差異はあるものの、多いところでは「精神薄弱」が
3〜4%に達したという。
軍は知的障害者の存在に関心を持つようになるが、それは軍務に適用できない
彼らが脱走や自殺を試みる事が多かったからだろう。
 
1942年6月、逝江省杭州の第22師団野戦病院で小銃自殺した
ある陸軍一等兵に事例を見てみよう。
彼は補充交代要員として、同地に到着したが原隊出発から同地到着の間に
「ほとんど無口にして戦友と談笑せるが如きこと一度もなく常に孤独」
の状態にあった。部隊に到着後もほとんど戦友と談話することもなく
4日後に自殺している。
 
その後の調査によれば「本人は頭脳明晰を欠き」
「小学校尋常科第3学年を修了せるのみにして片仮名を書き得る程度」
であり、同地到着後に実施した智能検査でも水準以下・・
この兵士は、他の兵士に比べて記憶力や理解力が劣る事に常に苦悩しており
前年9月には衛兵勤務中に逃亡している。
そのため禁錮5ヶ月の判決を受け、1942年2月に陸軍刑務所を
出所したばかりだった。報告書は、長期の輸送、到着後の智能検査、
作戦準備の開始など、環境の激変により発作的に自殺したもと
判断している。
(軍中自殺事件状況報告)
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北朝鮮問題についての逆転の発想
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

企業でいえば韓国にとって北朝鮮は合併どころから

連結から外したいほどの酷い経営状態。

韓国のGDPは北の45倍以上あると言われている。

そんな国どおしが一つになれば急激なデフレに陥る。

ロシア、日本は中国、韓国に比べたら難民負担は少ないだろうが

朝鮮半島発の世界不況に陥ることは避けられない。

実は隣国からすれば北朝鮮はできるだけ静かに存在していて

ほしい国なのだ。

ここで奇しくも周辺諸国と北朝鮮の利害が一致する。

 

周辺諸国は北朝鮮が内部から崩壊することを避けるために

最低限の援助は行う。

もはや、朝鮮半島の非核化は「圧力」などでも現実的に

不可能なところまで来ている。

現実、将来的な落としどころを考えたときに

ライフコーポレーションの清水会長が興味深いことを言っている。

 

「北朝鮮を援助して国民を豊かにしてやることだ。

国民が豊かになれば自然と独裁体制に疑問を持ち始める」

豊かになれば民主化が進むのは自然な流れだろう。

それは中国でも同じだ。

民主化を求める国民と権力者とが、緩やかに権力の分散と

民主化の移行を行えば北朝鮮もそこに存在したまま

国際社会の仲間入りを果たせるかもしれない。

これは北にとっても周辺諸国にとっても最良のシナリオと

いえるのではないでしょうか。

 

最終的にどうしたいのかどんな未来をイメージするのか。

それによって今、目の前にある問題をどう対処すべきかが

決まっている。

さて、安倍さんはどんなシナリオをイメージしているのか?

 

「戦争の大問題」を一部抜粋参照させて頂きました。

 

 

 

 

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蛮行
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

「自虐的歴史観はもうウンザリ」と思う人もいるでしょうが、
これは経験者の証言なのです。

私は自分が当事者になった悪夢さえみるんだけど・・

 

大戦中、初年兵の「度胸付け」のため中国人捕虜を銃剣突撃訓練の

生きた標的にしたこともあった。

この初年訓練を経験した人がいる。

 

Kさん大正13年生まれ(抜粋元の本には実名が出ています)

昭和19年に初年兵として中国に赴任した。

銃剣突撃訓練では、ワラ人形が標的として使われたそうだ。

ある日、Kさんたち初年兵が銃剣突撃訓練のために集合すると

目隠しをされた中国人らしき男性がいた。

上官が2人の初年兵に命じ、この男性の両脇をつかまさせ

標的に位置に立たせた。

 

上官はKさんたち初年兵に向かって「突け!」と命令した。

だが、初年兵の中に進んで刺殺しよういう者はいなかった。

そこで上官は具体的に指名することにした。

そして最初に指名されたのがKさんだった。

もはや、やるしかない・・

 

前進、前進、後ろ、後ろと号令にしたがって動いていると

中国人捕虜が目の前に立っていた。

上官から「突け!」と命令が下る。

Kさんは訓練どおりに、心臓めがけて銃剣を突入れすぐに引いた。

「意外なことに血がでませんでした」

叫び声も聞こえなかったというkさん。

生きた標的を使った初年兵の訓練は、中国にいた日本軍では

頻繁に行われていたようである。

日本に帰って何十年経ってからも、あの時の捕虜の叫び声が

耳から離れないという銃剣突撃訓練体験者も多い。

 

「戦争の大問題」丹羽宇一郎著より抜粋させて頂きました。

 

 

 

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普通の市民は人を殺せない
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

「戦争のおける人殺しの心理学」を書いた元陸軍士官学校の

教授デーブ・グロスマンによると

第一次世界大戦のとき、初めて戦場に出た兵士はほとんどが

空に向けて発砲していた。

第2次世界大戦時のアメリカ兵が敵に遭遇したときの

発砲率は15%〜20%。

人は本能的に人を殺せないのである。

 

しかし、朝鮮戦争では発砲率が60%に上がる。

ベトナム戦争では90%を超えた。

この数字の変化は新兵訓練の結果だ。

新兵訓練では条件反射で銃を撃つ訓練を繰り返す。

人と認識したら撃てない。

だから、人と認識する前に、反射的に引き金を引く訓練である。

それまでの標的は単なるモノだったが、人の形をした標的が

使われるようになる。

標的はさらに改良され、いきなり起き上がってくる

ポップアップ式になった。

突然現れた人の形をした標的を撃つ。条件反射の訓練である。

この訓練を続けていると実践でも突然現れた敵は「標的」であり

引き金を引くことを躊躇しなくなる。

 

発砲率を上げるためのもう一つ、「心理的訓練」

「まずは敵を人間以下だと教えます。

ベトナム人は銃を真っすぐ撃つことさえできないと教えました。

あいつらの目は細くてよく見えない。アメリカ人の丸い目とは

違うんだとね。敵を殺させるには相手が人間だという感覚を

徹底的に奪っておくことが重要です。

なぜなら、敵も同じ人間だと感じた途端、殺せなくなるからです。」

(戦争のおける人殺しの心理学)

 

これは戦前の日本人が抱いていた侮華(チャンコロ)思想ではないか。

侮華思想だけでない、東南アジアの人たちに対しての「土人思想」も

同様な結果を生んでいる。人を見下すという思想は狂気に導くのだ。

だが、狂気に導かれた人間も無傷ではすまない。

戦場の殺人が狂気の仕業であっても、殺人の事実は消えない。

その記憶は長く本人を苦しめることになる。

 

「戦争の大問題」丹羽宇一郎 著より参照

 

 

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デカい連中が言う小さな事、小さな犠牲
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

そして、自分も小さな犠牲者予備軍のくせに

デカい連中が渡すオペラグラスを覗いて頷いてるのは誰だ?
分断された国の両側から支援して
街を焼き付くし武器を消費して儲けてるデカい連中。
以下はDAYS JAPAN2017年11月号の記事から
抜粋させて頂きました。
世界最大規模の飢饉に苦しむイエメン、サナア市民の頭上に
大国の爆弾の雨。
アパートの下から救出された彼女の両親、5人の兄妹は
空爆により亡くなった。

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すっかり煽られまして対応いたします。
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

東日本に先日Jアラートが出たっていうのに、浜松市はなんら

対応していないのはどうなってるの?

などの要望を親御さんから多数頂きましたので対応してみました。

というところだろうか。

 

「ミサイル落下時、学校は浜松市危機管理課や教育委員会による情報に

基づき、学校の対応について緊急メールを通して保護者に連絡します。」
メールって誰か配達してくれるのかな?
電磁波で車のエンジンもかからないし、電気系統はすべてダウン。
Jアラートをもらう頃にはすでに落下してるし。
形ばかりだね。政府の北朝鮮をみんなで悪く思おうキャンペーンに
乗せられてる。
北でも日本でも韓国でももしも大勢死んでも、最終的には生き残った上の人たちが
話し合いで解決するんだよ。
潤うのは武器を売った人たちだけ。

 

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何故、ナガサキはヒロシマの影にあるのか?
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

長崎の平和祈念式典の記事を読んでる私を見て
娘が、えっ長崎にも原爆が落ちたの?
学校で習ってなければ、こういう認識の子は結構いるだろう。
広島原爆ドームのようなシンボリックなものを残さなかったからか・・
実際、あの天を指差した長崎の巨人像は敗戦から10年後に
新たに建てられたもので、そこで行なわれる式典は
爆心地から背を向けて行なわれてきた。

 

だけど1958年までは長崎にはそのシンボリックな被爆建造物が
あった・・旧浦上天主堂。
明治時代になり、禁教令が解けると弾圧に耐えたキリスト教信者たちが
建てた大聖堂。それが20年後原爆によって破壊されてしまった。
それも正面と側面の壁の一部は残り、その廃墟は人々を
厳粛にさせずにはおかなかった。
一時はこれを保存するための計画があったが・・

 

55年アメリカのセントポール市が長崎に姉妹都市提携を
打診してきたことにより、流れは変わってしまう。
当時の田川務市長が視察渡米後に考えを変えてしまう。
前年にはビキニ環礁、核実験を繰り返していたアメリカが
これ以上の反核運動を嫌ったとも言われてる。
その後、アメリカの支援により長崎にはいろんな文化施設もできた。
復興を考えたとき、アメリカを頼らずにはいられなかった。
そして、浦上天主堂は建て替えられてしまった。

 

週刊金曜日2017年8月18日号
「ナガサキは米国の核政策に屈したのか」を参照しました。

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水に流せるか?
category: 人殺し反対 | author: とらひげ

水に流せるか?

何度も母親の怒りと悲しみが頭に飛来するんだけど。

 

基地権密約、日本は戦後いかに米軍に

いいようにされてきたことか・・・

1977年、横浜の住宅街にファントム偵察機が墜落し、

3歳と1歳の男の子が火傷を負って翌日死亡した。

その子たちの母親は精神的ダメージが大きく

その4年後に死亡している。

 

その時にすぐに飛んできた自衛隊のヘリは日本人の�負傷者に

対してなんの救助活動をせずに、

なんとパラシュートで脱出した無傷の2人のパイロットを

乗せて厚木基地に帰ってしまった。

そしてこの事故についてはその後、日米合同委員会が一方的な

報告書を出しただけで幕引き。

被害者が米軍パイロットに対して行なった刑事告訴は

3年後に不起訴となる。

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