マンハッタン計画の最高責任者であるグローブスが
トルーマン大統領のもとを訪れた2日後の
1945年4月27日にグローブスは、
原爆を日本のどこに投下するか話し合う、『目標検討委員会』に出席した。
ここに大統領だったトルーマンやその側近は出席していない。
話し合いの結果以下の17か所が選ばれた。
(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。
その中で、京都と広島が有力候補に上がり、
グローブスは京都を上げた。その理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。
最初の原爆は破壊効果が隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語っている。