2018.11.03 Saturday/22:26 |
主語が複数になると述語が暴走する。 |
右翼の鈴木邦男さんが森達也さんから対談のときに
聞いた言葉らしいけど、実に的を射てる。
主語が「私」だと皆、よほど身勝手なひとでなければ
謙虚に話をするし自己批判もする。日本人のいいとこだな。
だけど、主語が「我々」になると自分のことが客観的に
見られなくなってしまう。
「我々」という言葉を使う時は、右翼、左翼、宗教、市民運動
などの共通項を持っている。
たまたま、その場、時間を共有しただけでは「我々」とは
言わない。映画、芝居、で集まってる人たちの間では
「我々」という言葉は使わない。
「私」が主語なら「ちょっとその辺はわかんないんだけど・・」
などと言えるが、しかし、「我々」となると迷いはすっ飛ぶ。
「断固**すべしです!!」「**を阻止せよ!」となる。
「我々」としてまとまり、一つの意思として運動することになる。
私も常に感じている違和感。
「私たち」という言葉が使われる度、「その中に私も入っちゃってるの?」
って思う。ある時は居心地が良く、時には不快になる。
たとえ平和運動で集団の中にいても、それを押されて歌いたくは
ないし、常に自分個人の考えを重視して行きたいと思う。