2019.08.18 Sunday/22:58 |
卑怯者の美学 |
近年の日本では、他者を攻撃中傷するだけの言論が横行している。
韓国・朝鮮人や中国人への差別意識が掘り起こされて増幅されている。
強者、権力者を擁護し(自己を強者と一体化させながら)、その立場から弱者、被害者を攻撃中傷する点に共通性がある。
そこでの攻撃罵倒の対象は韓国中国だけはなく、差別抑圧迫害されている人々に向けられる。
元慰安婦女性たちだけでなく
在日の人々、基地撤去を求める沖縄の人々、原発事故の被害者
生活保護を受けている人たちもそうである。
今日、日本は経済停滞が続き、人口減少、高齢化社会
将来良くなるという展望が失われ、かつ人々の生活を保障していた会社、地域社会、家族が解体され、
一人ひとりがバラバラにされて人権を無視した競争社会に放り込まれている。
見下していた韓国中国が経済成長している点も刺激している。
こうした中、事実かどうかが問題でなく、自分が安心できるものを事実だと信じたい、
自分が責められるようなことは否認したいという傾向が強まっている。
差別迫害されてる者や弱い者を攻撃し叩くことによって、自己の優位さ、
強さを示し、不安を解消し、自信を持ちたいという衝動かもしれない。
より良い未来を作る展望も自信もないから、過去の歴史の中で
何か誇れるものを見つけようとするしかない。
彼らの攻撃対象は、弱者あるいは反撃されても不利益を被らない者ばかりである。
強者の横暴は容認される。
安倍政権下でそれを批判する者に対する政治的圧力、圧迫が強まり、
経済界では人権など堂々無視されてる中で、人権意識を身につけようという方が難しい。
こうした動向は卑屈な後ろ向き姿勢であり、未来を展望するものは何も生まれない。
過去の幻影の中に誇りを見出そうとするだけの、後ろ向きな幻想に過ぎない。
「日本軍慰安婦問題の核心」林博史 著の序文より引用させて頂きました。