空蝉の如く我もここにありきと・・・
あまりに個人的な生活の足跡です。
可愛い2人の息子娘虎の子ちゃんとだるまちゃん、
そして凛として何でもこなす妻。
齢を重ねても精神的にパンクでソウルフルでいられるのは
この人たちのおかげなのです。
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死刑執行を見る責任
category: 見物??? | author: とらひげ

鋭い!指摘。国家国民の名の下に死刑を執行するのに、
私たちは実際にその光景を目にする事はない。
床の蓋が開くボタンを押すのは刑務官。
仕事とはいえそれがどんなに苦痛か・・
その苦痛を刑務官一人に押し付けて、報道で死刑執行を
知るだけの国民。
日本もかつては磔獄門、晒し首などがあった・・
それを野蛮というけど、見なくて済むだけでやることは
かわらない。ほんとは見る責任があるんじゃないのか。

 

オウムの死刑執行   
師岡カリーマ  東京新聞2018年7月21日
「本音のコラム」から

 国家権力が生死を左右し、時の政権がそれをいつ、どのように執行するかを決定する死刑制度というものに、私は個人的に強い恐怖と嫌悪を感じる。これは主義である以前に心情であり、国民の八割といわれる死刑容認派に向かって「私が正しい」 と論陣を張る勇気はない。
 
 オウム真理教元幹部七人の死刑執行。通常は事後発表が慣例であるにもかかわらず、今回は事前に漏えいされた疑いがあり、テレビでは見せ物のようにほぼ同時報道されたと本誌で読んだ。確かに死刑の伝え方は、人としての品位にかかわる問題だが、本来死刑執行は事前に正式発表されるべきではないか。

 米国人作家カポーティの名作「冷血」の執筆過程を描いた映画 「カポーティ」に、死刑囚について当局者がこういう場面がある。「本人に自殺の権利はない。彼を殺すのは市民の権利だ」

 市民が殺すという発想は日本ではなじみがないが、国民主権の原理で考えれば、死刑も国民の名のもとに行われると言える。ならば、私たちの知らないところで執行されるべきではない。私たちは朝起きて、出勤したり家事や買い物をしたりしながらも 「今日、私たちの名において〇〇死刑囚が縛り首になる」ということを厳粛に自覚しながら一日を過ごすべきだ。

 苦痛だが、死刑容認の国でその苦痛から守られる必要はない。 

 

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