空蝉の如く我もここにありきと・・・
あまりに個人的な生活の足跡です。
可愛い2人の息子娘虎の子ちゃんとだるまちゃん、
そして凛として何でもこなす妻。
齢を重ねても精神的にパンクでソウルフルでいられるのは
この人たちのおかげなのです。
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主語が複数になると述語が暴走する。
category: 突き刺さった言葉 | author: とらひげ

右翼の鈴木邦男さんが森達也さんから対談のときに

聞いた言葉らしいけど、実に的を射てる。

 

主語が「私」だと皆、よほど身勝手なひとでなければ

謙虚に話をするし自己批判もする。日本人のいいとこだな。

だけど、主語が「我々」になると自分のことが客観的に

見られなくなってしまう。

「我々」という言葉を使う時は、右翼、左翼、宗教、市民運動

などの共通項を持っている。

たまたま、その場、時間を共有しただけでは「我々」とは

言わない。映画、芝居、で集まってる人たちの間では

「我々」という言葉は使わない。

 

「私」が主語なら「ちょっとその辺はわかんないんだけど・・」

などと言えるが、しかし、「我々」となると迷いはすっ飛ぶ。

「断固**すべしです!!」「**を阻止せよ!」となる。

「我々」としてまとまり、一つの意思として運動することになる。

 

私も常に感じている違和感。

「私たち」という言葉が使われる度、「その中に私も入っちゃってるの?」

って思う。ある時は居心地が良く、時には不快になる。

たとえ平和運動で集団の中にいても、それを押されて歌いたくは

ないし、常に自分個人の考えを重視して行きたいと思う。

 

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