今は沖縄は日本の希望だと思います。本土の人間には痛い記事ですが
是非、DAYS JAPAN6月号を購入の上、全文お読みください。
以下はDAYS JAPAN 2015 6月号
高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会 共同代表)のインタビュー記事より
本土から来たテレビ局のコメンテーターがよく
「もっと地元で大きな声をあげるべきですよ。」というのです。
私は「地元紙を読んでくださいよ、絶えず沖縄は声をあげ続けているんだけど
あなた方の耳には届かないんです。」そうすると・・・
「じゃあもっと声のあげ方を工夫しなさい、声がもっと届くようにしなさい」
と言ってきます。
この人は現場を見たことがないですし、何を根拠に言うのだろうと・・
その人はよかれと思い、サポートしようと言ってると思うのですが
ずいぶん、距離を感じますし、むしろ否定しているんですよね。
「あなたの方が悪い」と。
私たちは声が届くように考える限りのことをしてきました。
しかし、今は辺野古の問題が起こっています。
戦後70年経ちましたが、沖縄戦から受けた傷が未だにうずいてる方たちや
米兵によるレイプ事件が起こり、その被害者達の傷はほんとうにうずいているのです。
そして沖縄戦を体験した島袋文子さんのように、
死人の血が混ざったような泥水を飲んで生きてきた人にとってみれば
新たな基地が造られることは、この傷が広がることなのです。
自分のような人たちが他の場所や次の世代にも広がるということなのです。
だからこそ、認めるわけにはいかない。
抵抗しているのです。
私は強姦救助センターでレイプ被害者の救護を20年していますが、これはレイプ被害者に
対する警察の態度にも同じことが言えます。
助けているつもりだけれども「何故、そのときそういう格好だったのですか?」
「何故、今まで黙っていたのですか?」
「言い難かったことでも頑張っていうべきだったんじゃないですか?」
と言うのです。
沖縄戦を経て今まで生きてきた人の中には、2007年に「教科書問題」が
出てきた時に初めて自分の体験を語り出した高齢者がいっぱいいました。
死ぬまで黙っているつもりだったが、もう黙っていられないと思ったのは
教科書に「集団自決はなかった」と書かれたからです。
それに対して「何故、今まで黙っていたのか?」
と責める人がいるのですが、その状況にある人には言葉にし得ない思いがあるのです。
「その状況を強いてるのは誰か?どこにあなたはいるのか?」
こう考えたら違うことばが、出てくるんじゃないかと思います。
この70年間、基地は1日たりとも沖縄からなくなりませんでした。
米軍は1945年3月26日に慶良間諸島に上陸して以来、ここにずっといるわけです。
広大な土地を基地に取られて、その周辺に私たちは張り付くように住んでいます。
しかし、今変化が感じられて始めています。
各地域で様々に出てきた沖縄への思いが、まるでルービックキューブの面が合ってきたように
知事選や衆議院選、名護市長選、県議選とすべてできちっと合ってきたのです。
ですから決して沖縄の人たちがこれまで何もしてこなかったわけではなくて
あらゆる方法を尽くして、この地点に来ているのです。
今、このときに大きく変えて行こうとする力が結集されているんじゃないかと思います。