科学技術庁にポスターの依頼を受けた東京藝術大学美術学部デザイン科の河北秀也教授は
うまいこと行政のチェック機能を甘さをついて大問題にまで
発展するポスターを作ったというわけです。
・・前略・・・
その中で、一番おもしろかったのが科学技術庁から依頼された「原子力の 日」のポスターである。
1976年、宇野宗佑科学技術庁長官の頃、科学技術お茶の間懇談会のメンバーになった。
SF作家の小松左京さん、漫画家の岡部冬彦 さん、身体障害者の服飾デザイナー樫木八重子さんら11人で、
数カ月に一度大 臣を囲み、分かりにくい科学技術をどうやって一般の人に理解してもらうかの知恵を出す、
というのが会の主な主旨である。
・・・中略・・・
さて、「原子力の日」のポスターである。懇談会の席上で、宇野大臣から、ポスターを作ってくれ、という依頼があった。
「地下鉄のポスターのような、すばらしいのを」と。
しかし、原子力発電と地下鉄のマナーとでは問題が違いすぎる。
まして、「原子力の日」などあることすら知らない。
この日は、原子力発電をすすめるための記念行事をやり、国民に原子力発電の有用性を訴えるのだそうだ。
車内で、老人に席をゆずりましょう、ということは、まあ普通に考えれば良いことである。
一方、原子力発電は、賛否両論ある問題である。
資源のない日本にとって有効なエネルギーだという人もいれば、
こんな安全性に問題のある危険なエネルギーはいらないという人もいる。
賛成派の書いた本、反対派の書いた本を、できる限り読んだ。
そして、科学技術庁の普及啓発課で、データを見せてもらった。
当時すでに原子力発電で電気をおこしていることを知っている人がどれくらいいるかというデータである。
7割 の人が、まだ原子力発電は実験段階だと思っていた。
私も、その一人だった。しかし、いつのまにか、日本は世界第3位 の発電力を誇るまでになっていた。
しかも、この事実を日本人の3分の2以上の人が知らなかったのである。
これこそが問題であると思った。日本の将来にとって有用なのか無用なのか、
当時の私としては見当すらつかない危険なエネルギー施設の存在を、
もっと多くの人が知って「どうするのか。いるのかいらないのか」を議論しなければ大変なことになると思った。
ポスターの依頼を断るのは簡単である。
広告代理店だったら「明日を開く原子力発電」などとコピーをつけて、あたり前のように、
賛成派の立場に立ち、お手軽に作ってしまうだろう。私は、ポスター一枚で何かできることはないか、と真剣に考えた。
普及啓発課に、このポスターはいったいどこに貼るのかを聞いたところ全国の県庁所在地の駅に一枚ずつ貼る、
そのほかに役所などにも貼ってもらう予定とのことだ。
ポスターは、弱いコミュニケーション・メデイアである。
一番強いのはテレ ビ・コマーシャル、続いて新聞広告、雑誌広告、ラジオ・コマーシャル、
これを マスコミの4媒体といい、ポスターなどは雑広告の一種である。
全国の県庁所在地の駅に一枚ずつということは、普通 に作ったのでは、
ほとんんど見る人がいないということである。
いや、少々目立つ工夫をしても日本国民の大部分は目にすることすらない掲出量 なのである。
いくら、考えに考えて苦労して作っても、これでは作らなかったも同然、
政府がお金を出すポスターだから税金をドブに捨てるのと同じである。
私は、このポスターがきっかけとなって、賛成派は、なぜ日本に原子力発電が必要かを議論し、
反対派は、原子力発電がなぜ悪いのかをもっとアピールできる、
そして、もっと多くの国民が、原子力発電のことを正確に知って是非を判断する、
そんなきっかけになるポスターを作ろうと思った。
ポスターは弱いメデイアであるが、象徴的にデザインをすることによって、
マ ークやロゴタイプと同じシンボル作用をもたらすことができる。
このポスターが 記事やニュースとして、新聞や雑誌やテレビに取り上げられれば、
新聞広告、雑誌広告やテレビ・コマーシャルを打ったのと同然になる。
しかし、広告ならばお金を支払うことによって企業や商品の一方的な良い情報を無条件に出すことができるが、
記事は、そうはいかない。賛否両論ある刺激 な内容でなければ、取り上げてはくれないのである。
ラブシーンの写真で行くことにした。コピーで、いちおう理屈はつけた。
抱き合っている男女のバックは、赤や青のネオンが光っている。
「無関心?無関係?」これがヘッドコピーである。原子力発電問題は、
あなたたち恋人同士に決して無関係ではありませんよ、無関心でよいのですか、という意味付けをしておいた。
しかし、このポスターはラブシーンがすべてなのである。今でこそ、男女の抱擁やヌードのポスターはめずらしいことではないが、
当時、ましてや科学技術庁という中央官庁が出すなどというのは前代未聞のことだったのである。
・・・中略・・・
この「原子力の日」のポスターは大臣から直接依頼された。
大臣は、これまでの私の作品をよく知っており力量 を信じている。依頼のされ方としては、最高の状況である。
もし、科学技術庁普及啓発課の一担当者から依頼されたのであれば、
こんな案を考えても、没になったであろう。このポスターに関しては、大臣さえOKすれば
政務次官以下誰も文句をいう人がいなかったのである。
大臣からは即座にOKが出た。モデルを選定し、夜の銀座の街中で撮影した。 ポスターが完成し記者発表である。
ほぼ全新聞にこのポスターは写真入りで記事になった。テレビのニュースや、ニュース特集で紹介された。
それに週刊誌が追従していった。朝日新聞の連載漫画「フジ三太郎」、「天声人語」、週刊朝日の「山藤章二のブラックアングル」、等々。新聞紙上では原子力発電問題が特集として大きく取り上げられた。投書合戦も始まった。とにかく大変な騒ぎとなっ た。
ポスターは現代では弱いメデイアである。しかしデザインによっては強いシンボル効果 をはたす。
私としては大成功であった。少なくとも原子力発電が日本で実際に世界第三位 の規模で行われていることを、
今まで知らなかった多くの国民が認識するきっかけとなったのである。
この時代、私がひとりのデザイナーとして、ポスター一枚でできたことは、考えに考えた上でこの程度のことだった。