真の女性解放を自らも実践した伊藤野枝。
言いたい事をいい、やりたい事をやる、そのための
貧乏も楽しむ。思想観念は今でも充分インパクトがある。
現代に生きていても、即女性解放運動をおこすだろう。
生涯のパートナーとなった大杉栄もすごい人で
自身の出版物がすべて政府が発禁にするから生活ができんといって
、直接官邸までいって当時の内務大臣に金をせびった。
そこで、内務大臣が金を出しちゃうとこも凄いけど・・・
関東大震災で、2人は自分の家に何人も被災者を招き入れる
などの支援をしていたが、憲兵隊が震災の混乱に乗じて
2人と連れていた他人の子どもを逮捕して、
殴る蹴るのリンチを繰り返し、最後には首を絞められ殺される。
アナキズムの理想は、どこか遠い未来にあるんじゃない。
ありふれた生の無償性。人が人を支配したりせず、
助け合って生きていくこと。
それは今ここで、どこでもやっていることだ。
でも、資本主義、金にまみれた都会生活に慣れてしまうと
すべてが有償の論理で、対価=見返りの関係で
動いているように思ってしまう。
人が何かしてくれるのは、あくまでカネがでているからだ。
人は利己的な存在であり、カネがあればいうことをきくと。
カネがあるものは何でもできると思い込み、
カネのないものを支配する。
逆のカネのないものはそれで自分に限界を感じ、
やりたいことがあってもやっちゃいけないと思わさせる。
子どもがたくさんほしくても、ちょっと無理だよと思ったり
医者に診てもらいたくてもあきらめてしまったり、
あれしかできない、これしかできない。
だが、ほんとうは都会暮らしでも、カネがなければひとに
手を差し伸べないなんてことはないし、ちょっと田舎に
目を向けてみれば自分の行為にカネを求める事のほうが
少ないと言う事に気付かされる。
野枝の育った今宿ではどこかで子どもが生まれる産婆さんや
近所のおばさんがやってきてだいたいのことはやってくれる。
子育てのしかたも教えてくれるし、
子どもの面倒も近所や親戚が当たり前のように助けてくれる。
誰かが病気になれば誰かが医者を連れてきて、薬など
なんだのカネがいれば誰かが出してくる。
損得では無償行為だ。
そしてそういう相互援助の輪を広げていくと行政など
いらないくなる。税金でカネをとってる行政任せに
すると面倒な手続きしないとことは進まないし、
時間がかかった上にほしい援助が受けられないのが常だ。
こりゃまずいと思ったら、人間同士で話し合って
動く・・
「伊藤野枝伝」栗原康 著より引用